HISTORY OF GOSPEL ゴスペルの歴史

⇒ English

What’s Gospel?:ゴスペルって?

ゴスペルは英語で”Gospel”とつづり、「福音(ふくいん)」という意味で、「God Spell=神の言葉」が語源といわれています。福音とは「良い知らせ=グッドニュース」のことで、新約聖書の冒頭4つの福音書の意味でもあります。
現在日本で歌われているゴスペルは、アメリカではブラック・ゴスペルとして知られていて、おもにクリスチャンによって歌われているものです。
元々は、アフリカから奴隷として連れてこられた、現在のアフリカ系アメリカ人の先祖達が18〜19世紀に作り歌ってきた黒人霊歌(Negro Spirituals)がルーツとなっています。奴隷として生きていた彼らは、本当に苛酷な人生を生きていました。労働を強いられ、物のように扱われ、生きる希望を奪われた中で、奴隷主に連れて行かれた教会で、彼らは神の存在を知ったのです。明日死ぬかも知れないギリギリの人生を生きていた彼らに、神は生きる力と魂の解放を与えてくれました。ゴスペルとはそんな彼らの悲しみや喜び、希望、信仰を綴った歌なのです。その後、ゴスペルは様々なスタイルに発展していき、現在も歌われ続けています。
そのゴスペルが今、日本でも多くの人によって歌われて、愛されています。日本でよく知られている「Oh, Happy Day」なども、20世紀に書かれたゴスペル・ソングの代表作のひとつです。彼らを救った音楽が、私たち日本人の心にも、届いているのです。

History of Gospel:そのルーツ

ゴスペルの歴史は、大西洋を渡る奴隷船から始まった。

ill01

アフリカ大陸で人間を動物のように生け捕りにし、強制的に新大陸に送り込んだヨーロッパ諸国による「奴隷貿易」は、17世紀に始まり、18世紀に最も盛んに行われていた。

ill02

奴隷として生きていた彼らは、労働を強いられ、物のように扱われ、その過酷な生活はいつでも死と隣あわせだった。

ill03

1808年に奴隷貿易が禁止された後でも、アメリカ合衆国内の黒人奴隷の生活は変わらず、1860年、合衆国総人口の約14%を占めた黒人人口440万人のうち395万人は奴隷だったといわれる。

ill10

1861-65年の南北戦争と、リンカーン大統領による「奴隷解放宣言(1863)」は黒人たちに法律上の自由をもたらしたが、4人のうち3人の奴隷は文字が読めず、土地も仕事も金も持っていなかった。解放後の彼らを待ち受けていたのは、厳しい「人種差別」と貧困。黒人であるというだけで、就職、経済活動、教育、政治参加などあらゆる面で制限を受け、絶えずリンチにおびえる生活を強いられていた。

ill06

こうした中で、彼ら黒人が自由と解放を願いながら生み出した唄が、ゴスペル・ミュージックだ。

彼らは奴隷主である白人に教会に連れていかれ、教会の礼拝を経験した。
教会で、彼らは神の存在を知り、イエスキリストを信じる者は、天国で永遠に生きるというメッセージを聞いた。
一日の苦役を終えた夜遅くに仲間と秘密に集まりあって、白人達の家から離れた場所で自分達だけの礼拝を持って、神に祈り、歌い、踊った。それが彼らのキリスト信仰の形であり、彼らが集まった場所は「Hush Harbor」と呼ばれた。Hush Harborは、社会的には「見えない教会」。

ill07

奴隷主達は奴隷達が集団を形成することを非常に警戒していたため(もちろん奴隷蜂起、叛乱などを恐れて)、Hush Harborが発見されれば刑罰が加えられるのは明白だったが、その危険の中で彼らは集まった。
黒人霊歌(Negro Spirituals)は、多くの苦難を通って、そうした隠された場所を中心に長い時間をかけて形作られたと言える。

名もない奴隷達は、綿花畑で、仲間の葬式で、集会で、黒人霊歌を歌い継いでいった。

ill11
ill12

その熱烈な神への賛美や祈りは、今日の黒人教会の礼拝の中に色濃く残っている。

ill09

文:塩谷達也
イラスト:宮下摂子

さらに詳しくゴスペルの歴史を知りたい方は、塩谷達也著「新版ゴスペルの本」をご参考に。

 

⇒池ゴスのトップへ戻る